久保田権四郎(クボタ)

久保田権四郎(くぼたごんしろう)氏は、東証一部に上場する、クボタを創業した実業家(1870/10/27-1959/11/11)です。1890年に鋳物業(大出鋳物)を立ち上げ、鋳物類の製造・販売から水道用鋳鉄管に事業を拡大し、1897年に大出鋳造所を久保田鉄工所に改称し、以降、機械や発動機(エンジン)など事業の多角化を推進しました。

現在の世界的メーカーであるクボタ(Kubota Group)の礎を築き、「やればできる」「失敗を恐れるな」の信念で、日本で初めて水道管の国産化や農業の機械化を実現するなど、明治から昭和の長きに渡って日本の近代化と発展に大きく貢献しました。

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久保田権四郎の基本情報

1870年10月3日に大出権四郎氏(当初名)は、瀬戸内海に浮かぶ因島の大浜村(現:広島県尾道市因島大浜町)の貧しい農家の末子として生まれました(1900年に懇望されて久保田家の養子となり、久保田性となる)。

家庭環境から学校へはあまり行かなかったそうですが、頭が良く誠実で、また手先が器用であり、立身出世して親孝行したいと思い、若くして西洋鍛冶屋になることを目指していました。14歳の時に大阪に出て鍛冶屋で奉公・修行し、19歳の時(1890年)に独立し、以降、チャレンジ精神で事業を拡大し、1913年には従業員1200人を超える大企業へと成長させました。

日本の企業史の中で、強い信念で立身出世した「実業家」であると共に、生涯に得た特許は70件、実用新案は150余件にものぼる「発明家」でもありました。

生没 1870年10月27日-1959年11月11日(享年89歳)
出身 広島県尾道市
学歴 小学校
就職 黒尾鋳物・・・1885年(14歳)
起業 大出鋳物・・・1890年(19歳)

久保田権四郎の事業年表

久保田権四郎氏は、鋳物職人として起業・独立し、独自技術で開発した水道用の鉄管製造で会社を大きく成長させました。また、時代を見る先見性から工作機械やエンジンなどにも事業を多角化し、終戦後は農業機械化の先駆けとなる耕うん機の開発などで復興に貢献しました。

ちなみに、大正時代には草創期の自動車製造にも乗り出し、結果としてうまくいきませんでしたが、株式を譲渡した先(戸畑鋳物)は日産自動車の前身となっています。

10-19歳 1885年:黒尾鋳物で奉公
1888年:塩見鋳物へ転職
1890年:大出鋳物を創業
20-29歳 1893年:鋳鉄管の開発スタート
1897年:久保田鉄工所に改称
1904年:立吹回転式鋳造装置を開発して鉄管の量産化開始
30-39歳 1908年:大阪市に最新鋭の鉄管専門工場を開設
40-49歳 1917年:恩加島工場(現・恩加島事業センター)を開設
1919年:実用自動車製造株式会社を設立、欧米視察
50-59歳 1922年:農工用石油発動機などの製造開始
1924年:衝器事業へ進出
1927年:隅田川製鉄所を買収(鉄管部門拡張)、欧米視察
60-69歳 1930年:株式会社へ改組して初代社長に
1937年:発動機専門の堺工場(現・堺製造所)を開設
1939年:株式公開、各工場に技能者養成所を設置
70歳- 1947年:耕うん機を開発、製造・販売開始
1949年:社長を退任して相談役に

久保田権四郎の人物像と言葉

久保田権四郎氏の信念は「やれば出来る」であり、「外国人に出来ることが日本人に出来ぬはずがない」で、日本が近代化する激動の時代の中、一代にして多様な事業を行う大企業を構築しました。また、実業家として成功後は「社会貢献事業」にも関心を示し、福祉・教育に尽力したり、郷里の島に道路等を建設したり、また研究助成にも積極的に取り組みました。

・自分の魂を打ち込んだ品物を作りだすこと、又其の品物には正しき意味に於ける商品価値を具現せしむること。

・国の発展に役立つ商品は、全知全霊を込めて作り出さねば生まれない。

・技術的に優れているだけでなく、社会の皆様に役立つものでなければならない。

久保田権四郎の関わった「クボタ」

明治半ばに久保田権四郎氏が創業した会社は、今日では「世界のクボタ(Kubota)」になりましたが、そのスピリッツは時代を超えて引き継がれ、世界の食料・水・環境の様々な課題に対して日々研究を重ねており、農業機械・農業関連製品、エンジン、建設機械、電装機器、パイプシステム、水処理システム、素形材など多様な製品を世界に提供しています。

会社名 株式会社クボタ〔KUBOTA Corporation〕
創業者 久保田権四郎
設立 1890年
事業内容 機械、水環境インフラ
企業理念 ブランドステートメント「For Earth, For Life」
上場 東証1部、NYSE

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