大倉喜八郎(大倉財閥)

大倉喜八郎(おおくらきはちろう)氏は、明冶・大正期に活躍した実業家で、大倉財閥の創設者(1837/9/24-1928/4/22)です。越後国(新潟県)出身で、幕末・維新の動乱期に銃砲店を営んで成功し、その後、政府の御用商人として軍需品の調達や輸送、土木建設工事などに従事して巨利の財をなしました。そして、大正期には、大倉組を持株会社とし、大倉商事、大倉鉱業、大倉土木の三社を事業の中核とする大倉財閥の体制を確立しました。

早くから貿易事業に着目し、我が国における世界貿易の先駆けとなり、また大陸(中国等)への事業進出に積極的で、多大な投資を行いました。一方で、国内においては、多数の会社の設立に関与し、また財界活動にも注力したほか、大倉高等商業学校(現:東京経済大学)や大阪大倉商業学校(現:関西大倉中学校・高等学校)、大倉集古館なども設立し、社会に大きく貢献しました。

大倉喜八郎の基本情報

大倉喜八郎氏は、1837年に越後国蒲原郡新発田(現:新潟県新発田市)の商家の三男として生まれました。16歳の時に父が、その翌年に母が亡くなったのを機に、1854年に姉からもらった20両を持って江戸に出て、商人として身を立てることを決意しました。両替商兼鰹節屋(鰹節問屋)の奉公からスタートし、その後、独立して10年ほど乾物店を営んだ後、幕末の動乱で武器(鉄砲)に商機を見出し、鉄砲店を開いて大成功しました。

明治維新後の1872年に民間人として初めて欧米へ視察旅行に赴き、帰国した1873年に大倉組商会を設立し、外国貿易や用達事業などに乗り出しました。そして、政治家や軍部と強く結びつき、台湾出兵や西南戦争、日清戦争、日露戦争などの軍需物資の調達・輸送で巨利を得て、事業を拡大していきました。

生没 1837年9月24日-1928年4月22日(享年92歳)
出身 新潟県新発田市
就職 鰹節問屋で奉公・・・1854年
鉄砲店で見習い・・・1866年
起業 乾物店を開業・・・1857年
鉄砲店を開業・・・1867年
大倉組商会を設立・・・1873年
著書 致富の鍵

大倉喜八郎の事業年表

大倉喜八郎氏は、幕末の江戸で鰹節問屋の丁稚を振り出しに独立し、乾物屋(大倉屋)、鉄砲商(大倉銃砲店)を経て、1873年に日本人初の貿易商社「大倉組商会」を創立しました。また、1887年には、日本初の会社組織による建設業法人「日本土木会社(大成建設の前身)」を設立し、以降も電力事業や毛織物業、ビール醸造業、製材・製紙業、ホテル業、教育事業など多岐にわたる事業を手掛け、明治から大正の激動期において、日本の近代化に多大な功績を残しました。

なお、中核事業の一つである土木建設業では、精鋭の技術者をそろえ、鹿鳴館や帝国ホテル、日本赤十字社病院、歌舞伎座、帝国劇場など近代を代表する多くの建物を手掛けたほか、日本初の地下鉄建設も成功させました。

10-19歳 1854年:江戸に出て奉公する
20-29歳 1857年:乾物店を開業する
1866年:乾物店を廃業し、鉄砲店で見習いをする
30-39歳 1867年:鉄砲店を開業する
1871年:日本初の洋服仕立て店を開業する
1872年:欧米へ視察旅行に行く
1873年:大倉組商会を設立し、貿易および用達事業に乗り出す
1874年:ロンドンに支店を設け、外国貿易の尖端を切る
40-49歳 1878年:東京商法会議所を設立する
1881年:土木事業に進出する
1886年:東京電灯を創設する
1887年:藤田組と合併し、日本土木会社を作る
50-59歳 1893年:日本土木会社を引継ぎ、大倉土木組を設立する
60-69歳 1900年:大倉商業学校を設立する
1902年:日本製靴の設立に関わる
1904年:帝国劇場、東海紙料、日清製油、札幌麦酒などの設立に関わる
70-79歳 1908年:日本化学工業を設立する
1915年:山陽製鉄所を創設する
80歳- 1917年:大倉集古館を設立する
1920年:日本無線電信電話を創設する

大倉喜八郎の人物像と言葉

大倉喜八郎氏は、「大冒険的商人」や「世にもまれな商傑」、「政商」や「死の商人」とも称され、その評価は二分されますが、時代を見る先見性やベンチャー精神を持った大実業家であったことは間違いありません。また、商売にあたって重んじたのは"取引先の信用"であり、商売とは相手も自分も立て、双方が利益を得ることであり、正直さ・信用・倹約・勤勉といった徳の実践が大切だと説いた、石田梅岩の「石門心学」に傾倒していたそうです。

ちなみに、プライベートにおいては、赤坂の大豪邸(跡地はホテルオークラ)や神戸の別荘(跡地は大倉山公園)など豪奢な生活で世間の注目を浴び、また狂歌(社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込んだ短歌)や美術品収集などの趣味を持つ文化人でもありました。

・今日の経験を明日用いない者は大成功は望まれぬ。

・知恵比べ、努力比べの今の世に、欲しきは人の勇気なりけり。

・信用を重んずべし、信用なき人は首なき人と同様なりと知るべし。

・誰も引き受けないところに商機はある。人捨てるとき、我これを拾う。

・時は金なり、油断をするな、無駄をするな。

・世間から何といわれても自分の思うところは一歩もまげない、知己は百年の後に一人得ればよい。

大倉喜八郎の関わった会社

大倉喜八郎氏は、財界の有力者として、多数の会社の設立に関与・出資していたことから、一代にして「大倉財閥」を築き上げました。最盛期では、200以上に上る財閥を形成していましたが、傘下に金融機関を持たなかったことや大陸事業に注力していた(中国や満州に多大な投資をしていた)ことが大きな弱点となり、第二次世界大戦後は大陸事業を全て失い、財閥は崩壊しました。

持株会社 大倉組(解体)
中核会社 大倉商事(破産)
大倉鉱業(消滅、中央建物に土地・建物等を継承)
大倉土木(現・大成建設)
関与会社 東京電灯(消滅)、帝国ホテル、日本製靴(現・リーガルコーポレーション)、東海紙料(現・東海パルプ)、日清製油(現・日清オイリオ)、札幌麦酒(現・サッポロビール)、日本無線、日本皮革(現・ニッピ)他