蟹江一太郎(カゴメ)

蟹江一太郎(かにえいちたろう)氏は、東証一部に上場する、トマト加工品の国内最大手「カゴメ」を創業した実業家(1875/2/7-1971/12/20)です。愛知県出身で、兵役(陸軍)の除隊の際に上官から西洋野菜の栽培を勧められたのがきっかけでトマトと出会い、1899年(明治32年)に最初のトマトの発芽を見た年をガゴメの創業としています。

当時、トマトは全く売れず、処分に困っていた中、トマトソース(現在のトマトピューレー)の存在を知り、試行錯誤して製品開発に成功し、トマト加工品という事業分野に進出することになりました。その後、トマトケチャップやウスターソース、トマトジュースなど製品を多様化し、営業・広報の努力や食の西洋化などにより事業が拡大していきました。

一太郎氏は、80代後半になるまで約50年間、社長として会社を牽引し、また日本のトマト加工産業に大きく貢献したことから「トマト王(トマトの父)」とも称されています。

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蟹江一太郎の基本情報

蟹江一太郎氏は、1875年(明治8年)に愛知県知多郡名和村(現:愛知県東海市名和町)に農家の長男として生まれました(当初名:佐野市太郎)。早くに母を亡くし、生家が貧しかったことから、若くして鉄道敷設工事に従事し、その働きぶりに近隣の大農家の蟹江甚之助氏が気に入って18歳で蟹江家に養子に入りました。

1896年に名古屋にあった陸軍(第三師団歩兵第六連隊)に入隊し、3年間の兵役を務め上げ、除隊の際に上官の西山中尉から誰も手がけていない西洋野菜の栽培を勧められたのをきっかけに、1899年にキャベツやレタス、ハクサイ、ピーマン、パセリ、トマトなど、西洋野菜の栽培に着手しました。

実際に西洋野菜が収穫されるようになって販売したところ、トマトだけが全く売れず、どうしたものかと頭を悩ませていた時、トマトソースの存在を知り、さっそく自宅で試作を開始しました。そして、1903年に試行錯誤の末、トマトソース(現在のトマトピューレー)の開発に成功し、食品問屋や西洋料理店の評判が良かったため、3年後には早くも工場を建設し、本格的なトマト加工に乗り出しました。

生没 1875年2月7日-1971年12月20日(享年96歳)
出身 愛知県東海市
学歴 小学校
起業 最初のトマトの発芽・・・1899年
愛知トマトソース製造を設立・・・1914年

蟹江一太郎の事業年表

蟹江一太郎氏は、トマト加工品において、業務用のトマトソースで最初に成功し、次に海外で普及していた家庭用洋風調味料のトマトケチャップとウスターソースに目を付けました。この二つは、製造自体は難しくないもの嗜好性が強いので、日本人の好みにあった味にする必要があり、原料・調味料・香辛料の配合を変え、何度も試作を繰り返した末、1908年に開発に成功し、製造を開始しました。

当時、日本人の食習慣が少しずつ変わり(洋風料理が普及し)、トマト加工品の需要が増える中、一太郎氏は事業の安定化を推し進めていきました。まずは、原料となるトマトの安定供給を実現するため、近隣の農家との間で契約栽培を実施し、契約した畑から収穫されたものは全量買い入れると共に、適正な価格と代金の支払方法を事前に約束し、安心して栽培できるように環境(システム)を整えました。

このシステムは、今日につながる斬新的なものでしたが、しばらくして金融恐慌から不況に突入し、零細な同業者の多くが潰れる中、一太郎氏も銀行からの借金で何とかしのぎ、経営面の強化を痛感しました。1914年に家業から企業への脱皮を決意し、成田源太郎氏と蟹江友太郎氏と共同出資し、「愛知トマトソース製造合資会社」を設立し、近代的なトマト加工業への第一歩を踏み出しました(一太郎氏が社長に就任)。

その後、1917年にカゴメ印を商標登録、1919年に新工場完成、1923年に「愛知トマト株式会社」に改組改称、そして1933年にトマトジュースを販売し、これが主力商品になって会社の屋台骨ができあがりました。なお、現在の社名である「カゴメ株式会社」に改称されたのは1963年で、一太郎氏が社長を退任する年でした。

20-29歳 1899年:最初のトマトの発芽(創業)
1903年:トマトソースの製造に着手
30-39歳 1906年:工場を建設、トマトソースの本格生産を開始
1907年:トマトケチャップとウスターソースの製造開始
1914年:共同出資で愛知トマトソース製造を設立
40-49歳 1917年:カゴメ印を商標登録
1923年:愛知トマトに改組改称
50-59歳 1933年:トマトジュースを発売
60-69歳 1939年:愛知県議会議員に就任
70歳- 1957年:海外視察でアメリカを訪問
1962年:社長を退任(会長へ)、カゴメに改称

蟹江一太郎の人物像

蟹江一太郎氏は、他人の忠告(言葉)に耳を傾け、まじめで正直一途な性格ながら、チャレンジ精神が旺盛でした。また、郷土の偉人で儒学者の細井平洲を尊敬しており、「いつまでも同じ事を退屈せず、勤め行うことなり」「勇にあらずして何をもって行なわんや」の教えを守り、トマト加工事業に勇気を持って挑戦し、わき眼もふらず一歩一歩着実に、カタツムリのごとく工夫と努力を重ねて成功に至りました。

生涯現役、元気満々の一太郎氏は、数え年で88歳まで社長として陣頭指揮をとり、また社長業の他に公職として、村会議員や愛知県議会議員も一時期勤めました。そのチャレンジ精神は生涯衰えることなく、高齢の82歳にして海外視察(トマト産業の本場のアメリカ)に行き、広大な農場や大手食品加工企業の工場などを見学し、多くの刺激と発想転換を受けて、帰国後、米国流を取り入れ、機械化や近代化の一大改革に取り組んだそうです。

蟹江一太郎の関わった「カゴメ」

蟹江一太郎氏が一代で築いたカゴメは、現在、日本を代表する食品会社の一つとなっています。原料調達から開発・販売までの一貫したバリューチェーンが大きな強みで、自然志向や健康志向に合った商品を、食品・飲料・生鮮トマト・乳酸菌まで幅広く展開し、「自然を、おいしく、楽しく。KAGOME」を合言葉に、世界の健康長寿に貢献しています。

会社名 カゴメ株式会社〔KAGOME CO.,LTD.〕
創業者 蟹江一太郎
創業 1899年(明治32年)
設立 1949年(昭和24年)
事業内容 調味食品、保存食品、飲料、その他の食品の製造・販売、種苗、青果物の仕入れ・生産・販売
企業理念 感謝、自然、開かれた企業
上場 東証1部、名証1部

人物の生誕別区分